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安芸高田市の皆様からの
温かいご声援、誠にありがとうございました。
おかげさまで2024年安芸高田市長選挙にて

1,216票もの
​ご支持をいただけました。

​赤津 誠一郎

Akatsu  Seiichiro

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赤津 誠一郎 紹介ムービー!

X(旧Twitter)も随時更新中!

お知らせ

2024年11月5日以降に今後の活動方針について

Youtubeにて配信いたします。是非ユーチューブチャンネルのご登録を

​よろしくお願い致します。

ごあいさつ

こんにちは。赤津誠一郎と申します。

 

現在44歳、高校卒業後に喋れる板前になるために運送や工場、接客業を経験し、21歳で起業してから接客業・IT・アパレル・スポーツコーチングと様々な事業を経験、立ち上げてきました。

現在はバスケットボールのスクールとクラブチームを運営し

日本各地やアメリカを中心に海外の環境から教育や福祉を学んでおります。

私の人生は一言で言うならば「環境づくり」でした。

そのまちに無い店舗開発と文化の啓蒙・教育。

そしてより良い暮らしをお客様と共に作り上げてきました。

 

この経験をもっと大きな視点でこれからの子供達の成長環境や、

いつまでも活き活きと過ごすための福祉環境づくりに活かして行きたい。

そして、『教育・福祉こそ地方から』という信念に基づき、『世界で1番住みたいと思えるまち』そして、『世界で一番訪れたいと思えるまち』『世界で一番成長したいと思えるまち』を目指して貢献して参ります。

より良い教育福祉環境を創造し、幼児から老後まで

​「百万一心」皆で力を合わせて

いつまでも朗らかに暮らせるまちづくりを共に実現していきましょう。

という想いで市長選を戦い抜きましたが、0から見知らぬ土地で戦い抜いた市長選挙は想像を絶するほど心身にダメージがあり、

しばらくお休みをいただいておりました。

​皆様からの連絡すら取ることが出来ず大変申し訳ございませんでした。

赤津誠一郎

略 歴

学生時代

中学時代は、生徒会副会長。

中学生までバスケでは中心選手だったが、強豪土浦日大高校に進学した高校3年間は

ほぼ応援団として過ごす。

しかし、この時の出会いや経験がチャレンジし続ける自分の人格形成に大きく貢献した。

社会人時代

板前修業→サービス業経営→IT技術者→スポーツ教育事業経営と自らの意志で道を切り開いて来ました。

■高校卒業後

幼き頃から板前になると決めていたため、高校卒業後に板前を志す。

 

板前修行をする前に社会を知り喋れる板前になるためにフリーターとして様々な職業を経験する。

初めてのカラオケ店の面接では勝手がわからず不合格。以後、対策を立てて面接に挑んできたことが雇用する立場にたった現在の糧となっている。板前修業では専門学校を出てきた同期に知識技術力で圧倒的に劣り、「こんなはずじゃない」と地元に戻り起業を決意。

■起業

21歳で福島県いわき市にて起業。「こんな店流行るわけがない。お前は馬鹿だ。」と他店舗オーナーに罵られるも、店舗は行列ができる店に成長。しかし後に原因不明の火災で店舗を消失。無事立て直し大型店舗も成功させる。年収3,000万円の暮らしでお金では買えない幸せがあることを知る。自分自身の成長を求めて東京でITを学ぶことを決め26歳にして専門学生となる。

■IT業界へ

ITではプログラマーや設計者、ディレクターとして活躍。また、研修講師・面接官として東京大学や京都大学を始め優秀な新卒社員を指導し、大学までの教育と実社会に必要なスキルのギャップに自分のやるべきことを感じ始める。

■スポーツ教育事業で再起業

当時小1になる娘にバスケットボールの最高の指導を行うために、アメリカに行きバスケ指導を学ぶ。自分が経験してきた指導と全く違う世界に感銘を受け、帰国後すぐにバスケスクールを立ち上げる。現在ではいくつものバスケスクールが存在するが、当時はまだ普及しておらずスポーツ指導といえばボランティアが当たり前。「プロ選手でもないお前がお金をもらって指導できるわけがない」という周囲の声を押しのけバスケスクール文化をプロチームよりも先に川崎に定着させる。

​バスケットボールコーチとして法人化し、店舗開発・コーチ育成を行い、子供たちを指導する中でまっすぐな生き方を学ぶ。

政治との出会い

YouTubeで安芸高田市の話題を知り、地方政治の在り方を考え始める。

「選挙に行こう」だけでは未来を変えることは出来ないと感じ、

自らが子供達の教育や老後の社会福祉のより良い改革に携わっていくために、そしてコーチとして挑戦する姿を子供たちに背中で示し道しるべとなるために「選挙に出よう」と政治家になる事を志す。

現在のお受験勉強を中心とした教育環境に大きな疑問を持ち、「教育は地方から」「福祉は地方から」という長年の考えを実現することが目標。教育と福祉の環境づくりでUターンIターンを推進し東京一極集中の緩和を必ず実現する。

なぜ広島なのか

広島は日本人にとって特別な場所であり、ずっと訪れたいと思っていた場所だった。安芸高田市が話題となり、SNSで様々なやりとりをする中で、SNSでは届けられない声を現地から届けていく必要性を感じる。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分でできることは自らの意思で行動していくことを決め、憧れの広島、安芸高田市への移住を決意する。

初めて安芸高田を訪れたとき、「教育は地方から」「福祉は地方から」この想いを実現する場所はここだと感じた。

長年探し求めてきた環境に出会い、温かい市民の皆様の支えを受け、その想いを確信に変える。

​現在は安芸高田市に住まいと職場を作り、有志の市民・県民の方を中心に全国の皆様に支えられ、この素晴らしいまちに貢献すべく日々奮闘中である。2024年6月4日、住民票を移し安芸高田市民となる。

2024年7月7日開票の安芸高田市長選挙では1216票もの支持を得るも敗北。

しかし、その過程で若い世代を中心に沢山の仲間が生まれた。かずくんを中心に本当にありがとう。

(みんなのニックネームも書いて良かったらここに書きます。読んだら連絡頂戴ね。)

市長選挙の反動は心身を共に蝕み現在は病気療養中である。

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